臨済宗建長寺派。もともとは「石老山入口」南方200mほどにあり、約1100年前の創建で真言宗鎌倉桐ヶ谷宝積寺派であったといいます。
嘉慶元(1387)年、雲潭玄蔭大和尚が臨済宗に改宗しました。永禄12(1569)年三増合戦の折、武田軍帰陣の道明かりとして堂宇を焼かれ、山口地区に移転。1700年代には失火のため現在の阿津地区に移転しました。
津久井三十三観音霊場15番札所。本尊は行基菩薩作の木造立像の聖観音菩薩(67cm)。 別名「俳句寺」と呼ばれ、表参道階段をはじめ、玉石を敷き詰めた前庭や遊歩道がある裏山など、至る所に句碑が建てられています。
大正7年8月、民俗学者柳田国男が地方文化の研究でこの寺に滞在し、「山寺や、葱と南瓜の、十日間」と詠み、思いを句碑に残したことから、以来句碑建立を希望する愛好家が増え、現在では220基余にのぼります。句碑は誰でも建立できます。毎年5月初旬には、正覚寺句碑祭俳句大会が開かれ、優秀作は句碑として寺に残されます。
津久井三十三観音霊場第13番札所朝光山宝珠庵(十一面観世音菩薩)は、津久井湖水没地にありましたが、明治初年水難で滅失し、昭和3年に当寺と合併しています。
境内の五色椿(樹齢300年、かながわの名木100選)が4月半ばに赤・白・桃・赤と白・赤と桃の5種類の花を咲かせ、そのあと、裏山の通称「滝つつじ」が長さ50メートルにわたって白い花を咲かせます。
正覚寺境内には、つつじが約千本植樹されていますが、4月下旬から、 5月初旬に掛けて、これらのつつじが咲き誇るとそれは見事な景観と成ります。 滝つつじ は正覚寺の西側の駐車場付近にあり、白い花の咲くつつじを約百本、寺の裏山「大智山」に、総長百メートルに渡って上から、恰も、滝が流れ落ちる様に植えられているもので、つつじの咲く、毎年五月の連休頃満開となり、多くの人達がこの滝つつじを見るために正覚寺やってきます。相模湖は、神奈川県でも寒い地方ですので東京、横浜でつつじが散り始めた頃が滝つつじの見頃といえるでしょう。お見逃しなく!
(かながわのむかしばなし50選。相模湖のほか鎌倉でも伝承。)宝暦年間、鎌倉建長寺の山門は地震で崩壊し、仮山門であった。これを本格的に再建するため、時の建長寺二百一世万拙和尚が、山門の柱12本を出してもらう為、津久井に勧進に来た。おおかた山門柱の寄進の目鼻がついたので正覚寺に宿泊、一泊の御礼に書を残し、次の朝鎌倉へ帰っていった。これを聞いた建長寺裏山に住む古狸は日頃の恩に報いる為、正覚寺から後を和尚に化けて勧進することにした。次の宿は小原宿の本陣だが、到着早々「犬は繋いでおけ。夕食での女中の給仕はいらぬ」とか不思議な言動ばかり、また朝和尚の寝ていた布団を上げようとすると獣の毛が付着していた。次の投宿先、小川の法林寺(現あきる野市)から寺男が迎えに来たので昨晩の一部始終を話してお見送りした。法林寺につくと和尚は小原の本陣と同じ行動で「犬は繋いでおけ。夕食での女中の給仕はいらぬ」という。そこで女中は障子に穴を開けのぞいて見ると箸もつかわず口で御飯をまき散らし食べている。また風呂に入り湯加減を問うと「いいあんばいじゃ」と言うので板の節穴からのぞくと尻尾を湯につけぽちゃぽちゃとかき混ぜていた。そこで夜和尚が便所に起きた時、寺男が犬をはなすと犬は飛びつき、和尚を噛み殺してしまった。そこへ寺男が斧で首をはね、相州の正覚寺からやってきた和尚なので、その正体を確かめる為、その首を箱に入れ籠で正覚寺へ運び開けてみると、その首は「石の化首」と成っていた。この化首(人面石)は今も正覚寺にある。
座ったまま持上げる事が出来ると病気も治り、良い事があるとのこと。御参拝下さい。